嵐の後の天気は、いっそすっきりするくらいの快晴。
夏の名残を残した空気が、肌に纏わりついて暑い。
家を出て駆け出してみると、さっきまであんなにだるくてつらかったのに、
そういう意識がいっぺんに吹っ飛んでしまった。
不思議と足取りは軽くて、足だけ別の生き物になったようなそんな感じ。


そうしてオフィスに着いたのは、お昼過ぎぐらいだった。

カラン。
ドアのベルが鳴る。
オフィスは静まり返っていた。
リンさんとか、誰も居ないのかな。
とりあえずそのまま直進して、所長室へと向かう。
部屋の前でふう、と一つ息を吐いて。
昨日の今日で、ナルにどう接したらいいのか正直検討すらつかないけど。
コンコンとドアを叩いた。
いつもどおり返事はなくて、そのままかちゃりとドアを開けた。

「なんだ」
いつものように淡々としたナルの言葉。
「えーと、あのね・・・」
ドアの前に佇んだまま、あたしは視線を泳がせた。
ど、どうしよう。
実際にナルを前にすると、緊張して何の言葉も出てこない。
「えと、熱、大丈夫?」
少し小さな声であたしが聞く。
「ああ、もう下がった」
返事の通り、確かに昨日ほど顔色は悪くない気がする。
「き、昨日はほんとごめんね、体調悪かったのに一方的に怒ったり泣いたりしちゃって。どうかしてたんだ、あたし」
わっと息もつかずにまくし立ててナルを見る。
ナルの視線がまるであたしの心を見透かすように向けられていて、戸惑いを覚えた。
居心地が悪くて、視線を逸らして言葉を続ける。
「そ、それでね」
「それで?」
静かに、ナルが聞き返す。
「それで・・・」
やばい。
何にも考えずにつぶやいてた。

あたしが黙りこくってしまうと、所長室はいっぺんに静かになった。
沈黙が痛い。
ナルの視線が、痛い。
あたしの心拍数を否応なしに加速させていく気がする。


コツン、と音がした。
ナルがあたしのほうに歩いてくる足音だった。
あたしはじりじりと右足を後ろに下げて、逃げ出したい気持ちに駆られる。
たぶん、ナルはあたしが何をしに来たのかは分かってる。
「麻衣」
綺麗な響き。
ナルの呼ぶ声があたしの心に染み渡る。
でも、今日ばかりは嬉しくない。
だって、これから告げようとしているのは、きっとあたしの気持ちに対する答えだから。
ぎゅっと目をつぶって、下を向いた。
遠回りして、たどり着いたナルへの気持ちが、3年分の思いが。
ナルの言葉一つで、もう断ち切らなくちゃいけないんだ。
たとえそう覚悟はしても、この気持ちはそう簡単に消えはしないのに。


「何も言わないで」
ナルが何か言おうするのに気付いてあたしは、ひとつ、言葉を落とした。
「ナルは優しいから、絶対に期待させるようなこと言わないよね。あたし、分かってるから」
笑顔を作って、ナルを見る。
ナルは相変わらず無表情だけれど、瞳が少し、揺れた気がした。
「お願い、あきらめる努力ちゃんと、するから。だから今は否定しないで」
こんなの、わがままだって知ってる。


「迷惑だって知ってるよ。口利いてくれなくったっていいから。だけど、だけどね、」
ひとつ、息をつく。
いくらナルの優しさだって知っていても、ナルの言葉ひとつひとつが、
全てあたしにとっては大きなちからを持つものだから。
あたしの心をかき乱してしまうものだから。

ナルは、未練たらしいって呆れるかもしれない。
だけど。
どうにも表現できなくて、胸の奥が詰まってきた。

「もうちょっと、ナルの近くに、いてもいい?」

矛盾してる。
でも、そんな言葉しか思いつかなくて、ためらいがちに瞳をあげると、
ナルの瞳が和らいだように見えた。
それから、

「麻衣は本当に馬鹿だな」
と、またシビアな一言。
むっとして反撃しようとしたら、ナルが少し、笑った。
え、ってあたしが驚いていると、強い力で引き寄せられて。
ゆっくりとした出来事だったけど、何が起きたのか分からなかった。