「ありがと!すぐとってくるから待ってて」
車のドアを開けて、あたしはひょいと外へ出る。
傘を広げて、あたしは走って教室へむかった。
いやでも耳につくざあざあという雨の音。
走ると跳ねる水溜りの音。
それから、吹き荒れる風とそのうなり声。
さっきの小雨のときとはぜんぜん違う。
こんな状態で歩いてきてたら吹き飛ばされてたかも…。
やっぱりナルに連れてきてもらえてほんとよかった。

教室に入ると、机の横の手さげを見つけてほっと胸をなでおろした。
「よかったー。中身も無事!ナルに何かお礼しなくっちゃ」
手さげを両手で抱えて、あたしはナルの待つ車へと急ぐ。
急いで車に乗り込むと、ナルはシートにもたれて目をつぶっていた。
それからあたしに気づいて、ゆっくりと体を起こす。
暗くてあんまりよく分からないけど、オフィスに居たときよりも顔色が悪くなってる気がした。

「大丈夫・・・?」
あんまりにも具合が悪そうな様子にちょっとショックを受けて、それだけしか聞けなかった。
「ああ」
予想通りのナルの返事。
「でもナル、ちゃんと寝てるの?夕方から気になってたんだけど、顔色が悪いよ」
おそるおそる、あたしは顔を覗き込んだ。
「別に、問題ない」
淡々と、ナルは答える。
「だけどさ」
あたしは引き下がらない。だってナル、今にも倒れそうじゃない。
「問題ないと言ってる」
少しイラついたような、ナルの口調。
「・・・でも」

ひとつ、ため息をついて。
ナルはその一言を、言い放った。

「麻衣には関係ない」



氷の欠片が、胸に突き刺さったような気がした。
全身からさっと血の気が引くような錯覚。
決定的な言葉。
一番聞きたくなかった言葉。
期待なんてしてなかったけど。
 
「・・・関係あるよ」
口をついて、言葉が出た。
伝えるつもりのなかった思いが。
「あたし、ナルが好きだから」




沈黙が、流れた。


少しして、ナルは言う。

「間違いだろう」

瞬間、それが何を意味してるのか、あたしの頭でも分かった。



「間違いなんかじゃない!あたしはっ、あたしはナルが好きなの!」
かっとなって、あたしは言う。


最低だな。
こんなの、ただ一方的な感情をぶつけてるだけじゃない。
頭のどこかで冷静なあたしが罵倒する。


ナルは何も言わなかった。



「・・・でも、最初から分かってたよ」
笑顔を作って、あたしは続けた。


「ナルにあたしは、必要ないんだよ」
ぽつりと、言葉にした。
口にした瞬間、色んな感情が、
どうにもできないほどの切なさが
心のうちからたぎって、押し寄せてきた。
涙がぽろりと、頬を伝った。


ナルは、何も言わずにあたしを見ている。
急に怖くなって、うつむいた。
目元をぬぐいながら沈黙に耐える。
二度目に押し寄せた波は、後悔。

「麻衣」
ナルの強い口調。
低く深く響く声。
あたし、ナルがあたしの名前を呼ぶ瞬間が好き。
じんわりと、切ない気持ちが胸を広がっていく。
泣きたいくらい、いとしいと思うんだ。

おそるおそる見上げるといつも通りのナルの人形みたいに綺麗な顔が、あたしの方を真剣に見ていた。
ああ、困らせてる、と気づいた。

もう、限界。
ここが、あたしの限界。
もうこれ以上は進めないし、
踏み込めない。



「ごめん、今の忘れて」
めいっぱい笑って、あたしはそう言った。
「送ってくれてありがとう、ほんと助かったよ」

どんな表情をしてるのか、怖くて。
どんな言葉を伝えられるのかが怖くて
顔は見られなかった。

そのままドアを開けて、車を降りて、嵐の中を、走った。


背中越しにナルがあたしを呼んだ気もしたけど
逃げるように走り続けた。