「13 繋いだ手」のナル視点小説です。






その手を振り払う勇気











「麻衣、暑苦しい」
ソファーには十分なスペースがあるというのに、擦り寄る彼女を僕は冷たく突き放す。
「いーじゃん、ナルいつも相手にしてくれないんだもん。隣にいるくらい我慢してよ」
頬を膨らませて彼女は不平を言う。
これ以上異議を唱えるのは無駄だと悟り、ため息をついて書類に視線を戻す。
彼女は隣で、自分の入れた紅茶を一口、口へと運ぶ。
これも、今では日常になってしまった。


『いつの間にか』という慣れは恐ろしい物だ。
麻衣はいつの間にか僕の生活に馴染んでいった。
SPRの所長室。
初めはリン以外誰も入室を許さなかった場所だった。
その禁止区域も彼女はいつの間にかものの見事にすり抜けて、仕舞いには僕の家に転がり込んだ。
彼女自身に自覚はないが、放っておけないと誰に対しても思わせてしまうのは、ある意味では彼女の武器かもしれない。



「ナルの髪ってきれーだよね。黒くて艶があって。うらやましいな」
紅茶のカップをテーブルに戻し、麻衣は僕の髪を一束掬って指に絡ませて遊び始めた。
こうしていつもよりちょっかいを出してくる時は、決まっている。
壁のカレンダーに視線をやった。
母親の命日が近いとこの間聞いたばかりだ。
「麻衣」
いつものように僕はため息をつく。
彼女はいつものように、不平を言おうと口を尖らせる。
髪を絡ませていた方の腕を引き寄せると、麻衣は体をこわばらせた。
そのまま胸の中に納まった彼女は呆然としていた。
「な、なに?」
驚いたのか、離れようと抵抗するが、彼女の力では高が知れている。
「この方が、静かになるだろう」
そう言うと、麻衣は何かまた文句を言ったが、満足したのか口を閉ざした。


麻衣は僕の胸の中で、いつも微かに息を吐くのを知っている。
まるで、安堵するかのように。
それから、背中に細い腕を回し、僅かに力を込める。
彼女から流れてくる過去と孤独感が、痛い程伝わって来ることにも慣れてしまった。




*******




「まだ、寝ないの?」
パジャマを着込んだ彼女が書斎の扉の前に佇んでいた。
「ああ」
パソコンに向かったままそう返すと、彼女はそう、と小さな返事をした。
「無理しちゃ駄目だからね」
小さく微笑み、彼女は寝室へと向かっていった。



結局僕はいつもより少し早く、仕事を片付けた。



布団の中で小さな体が縮こまって眠っている。
隣に滑り込むと、彼女はまた小さく息を吐いた。
そして僕の背中に擦り寄ってきた。


「ナルは、いなくならないよね」
緩やかな眠りに陥る感覚に委ねたとき、麻衣が額を僕の背中に押し付けて、微かにつぶやいた。
麻衣の額を伝って、発声の僅かな震動が背中に響く。
振り向くと、麻衣は僅かに身じろぎし、頑なに瞳を閉じた。
狸寝入りをするつもりだろうか。
返事をする代わりに、細い髪を少し掬って梳いてやると、麻衣はまた安堵のため息をついた。
「ひとりは、寂しいね」
彼女はまたぽつりと言葉を落とした。
華奢な手が、おそるおそる僕の手を探り、包み込むように握る。
まるで離れるのを恐れるかのように。
柔らかい束縛からは、すぐに手を離せば逃れられる。
そうすれば、麻衣の過去も痛みも、伝い流れてくることはないだろう。
けれど、この手を振り払ってしまうことは、今の自分にはできない。


腕の中で安らかな寝息が聞こえ始めた。
そうして自分も徐々に眠りに落ちていった。






fin...

お題提供:切ない30の言葉達
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